長崎原爆の日

これまで多くの被爆者手帳をお持ちの患者さまを診療して参りました。80年前に被爆直後の長崎で救護にあたられた方が2名訪問診療を続けています。お一人かたのお父様は式見で皮膚科医をされていました。次々と訪れる火傷を負った患者さまをみて、「こりゃ原子ばい。。」とつぶやいたお父さんの言葉が耳に残っておられました。近くのお寺の境内を借りて多くの方の手当をお手伝いされたそうです。もうお一人は19歳のとき日本赤十字救護班として原爆投下直後に佐賀から派遣され多くの方の救護をされました。これまではお尋ねすると当時のことを話していただけましたが、いまはそれもできなくなられました。これからはその思いを引き継いだ世代が語り継がねばならないと思いました。

 

2025年08月09日